Япония: цивилизация, культура, язык 2022

«ISSUES OF JAPANOLOGY, vol. 9» St-Petersburg State Univ 2022 669 しかし、こうした作品ではなく、日本では 1919 年に中 島清訳で新潮社より刊行されたアルツィバーシェフの 『労働者セイリオフ』( 1909 年)に多大な感化を受けた日 本人がいる。その一人が金子文子である。そして、宮島 資夫 3 を挙げることができる。 3. 『労働者 セイリオフ』 金子文子が書いた獄中手記『何が私をこうさせたか』 によれば、文子は上京後、貧しく読みたい本を買うこと ができなかった。そして、夜学で知り合った新山初代か ら本を借りて読んだとある。 『労働者セイリョフ』を感激を以て私に読ませたの も初代さんであった。『死の前夜』 4 を貸してくれた のも初代さんであった。ベルグソンだとかスペンサ アだとかヘーゲルだとかの思想の一般を、もしくは 少なくともその名を、知らせてくれたのも初代さん であった。中でも一番私の思想を導いたものは、初 代さんの持つニヒリスティックな思想家の思想であ った。スティルネル、アルツィバーセフ、ニイチェ、 そうした人々を知ったのもこの時であった 5 。 3 宮島資夫(ミヤジマスケオ)は小説家、批評家 (1886-1951) 。幼少時 より放浪生活を送り、大杉栄等の影響でアナーキストとして目覚め、 1916 年、「坑夫」を自費出版するも直ちに発禁にあった。共産党系の プロレタリア文学に反発し、個人的な心情の爆発や妄執を描いた。 4 『死の前夜』という著作はなく、ツルゲーネフの『その前夜』 (1860 年、日本語翻訳は 1918 年刊 ) か、ソログーブの『死の勝利』 (1907 年、日本語翻訳は 1914 年刊 ) またはダヌンチオの『死の勝利』 (1894 年、日本語翻訳は 1913 年刊 ) の誤りかと考えられる。 5 金子ふみ子『何が私をかうさせたか ― 獄中手記』 ( 春秋社、 1931 年 ) 、 但し、引用は金子文子『何が私をこうさせたか ― 獄中手記』 ( 岩波書 店、 2019 年 ) p.384

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