Япония: цивилизация, культура, язык 2022

ЯПОНИЯ: цивилизация, культура, язык 2022 668 本論では、この金子文子のアルツィバーシェフ受容に ついて考察する。 2. 日本におけるアルツィバーシェフ受容 まず、アルツィバーシェフとはどのような作家なのか。 М.P.Artsybashev (1878-1927) は 1901 年、ロシアの文壇に 登場し、 1905 年の革命後の知識人の挫折感を性と暴力、 死を通して描写した。特に注目を集めたのは恋愛と性欲 の開放を掲げた長編小説『サーニン』 (1907) である。自由 恋愛と性欲の開放を説いたこの小説から「サーニズム」 という言葉も生まれ、世界的に流行、注目された。そし て、自殺を肯定、賛美をした『最後の一線』 (1910-1912) も ある。 しかし、アルツィバーシェフは、川端香男里の言葉を 借りれば「ニーチェ風の個人主義、アンドレーエフ流の ニヒリズム、ロシア象徴派の「愛と死の神秘思想」の影 響を受けた典型的なモダニズムの作家」であり、日本に おいては「大正期の文学に与えた影響は無視しがたいが」 「やがて人々に忘れられた」作家だったといえよう 2 。 このアルツィバーシェフを日本に紹介した中心的人物 は翻訳家の昇曙夢である。昇は『露西亜現代代表的作家 六人集』 (1910) 、『露国新作家集 毒の園』 (1912) などにお いて、「夜」「妻」をはじめとするアルツィバーシェフの 作品を紹介した。それらの作品は広津和郎、武者小路実 篤、宇野浩二ら、当時の日本の小説家を魅了した。ただ、 アルツィバーシェフに傾倒した日本人の多くはその象徴 的な描写や性の解放を主張した点などに感化され、『サー ニン』及びそれ以以前の作品を取りあげることが多い。 2 「アルツィバーシェフ」『新版 ロシアを知る事典』 p.28 (平凡社、 2004 年)

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