Япония: цивилизация, культура, язык 2022

«ISSUES OF JAPANOLOGY, vol. 9» St-Petersburg State Univ 2022 671 はテロ行為なのであり、許されるものではない。しかし、 言論で戦う道は閉ざされ個人の力ではどうすることもで きない権力の圧力に押しつぶされそうになった時には、 こうした直接行動しか残されていないと文子は考えたの だろう。劇場に通う富裕な人間たちを無差別に殺傷する、 そうした「負」のエネルギーの爆発にしか自己を実現す ることができないセイリオフに文子は共鳴したのに違い ない。 このような文子と同様にこの『労働者セイリオフ』の 末尾の場面を深く心に留めていたのが前述の宮島資夫で ある。宮島は「第四階級の文学」 6 で警察国家へ傾斜する 時代との対決姿勢を示し、その中で次のように書いてい る。 奥村君の如きもまた単に之れだけの要求を持つ運動 をしたに過ぎない。しかして与えられたものは何で あるか。残忍を極めた暴行と、多数を頼む野蛮な圧 迫である。奥村君が両腕をねじり挙げられて、身体 は宙に浮きながらも口の血汐を X 警部の白い夏服に はきかけたところに、私は労働者セイリオフが、劇 場に追いつめられて、ピストルを乱射した時と同じ 怨恨と憤怒の燃え上がつているのを認める。 宮島は、労働者階級に身を置く者が、自己の生活を生 存する意識まで奪われている現実を指摘している。そし て、この不合理に気付き、自己の生活を自己に返せとい う極めて小さな要求を社会に提出しただけなのに、「之れ に対して与えられるものは、暴力と圧制だけである。彼 等の眼に怨恨の情が燃え、心に復仇の念が起るに何の不 思議があるか?」と問う。その労働者の怨恨と憤怒の象 6 『読売新聞』 (1922 年 1 月 26 日 ~2 月 2 日 )

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