Япония: цивилизация, культура, язык 2022

«ISSUES OF JAPANOLOGY, vol. 9» St-Petersburg State Univ 2022 667 Восприятие Арцыбашева у Фумико Канэко 金子文子のアルツィバーシェフ受容 ( Ясумото Такако 安元隆子 ) 1. はじめに 金子文子( 1903-1926 )は幼少時、親の愛に恵まれず、 無籍者として育ち充分な教育を受けることができなかっ た。文子は日本の韓国併合( 1910 )後の朝鮮半島で一時期 暮らした際( 1912-1919 )、朝鮮人がいかに日本人に虐げら れてきたのかを知る。帰国後、苦学する中でキリスト教、 社会主義に接触するが、いずれも文子を満足させるもの ではなかった。文子は無政府主義、虚無主義に感化され、 同時に朴烈をはじめとする在日朝鮮人たちと連帯した。 そして、 1923 年の関東大震災の際、文子は朴烈と共に拘 束され、訊問では「人間の絶対平等」を掲げて日本の天 皇制を否定した 1 。しかし、皇太子暗殺計画のかどで二人 には刑法第 73 条が適用され、大逆罪により死刑判決が下 された。この後、恩赦によって無期懲役に減刑されるが、 文子は獄中で自ら命を絶った。 1 第 12 回訊問調書 (1924 年 5 月 14 日 ) には、「私はかねて人間の平等と いうことを深く考えております。(略)すべての人間は人間であると いう、ただ一つの資格によって人間としての生活の権利を完全に、か つ平等に享受すべきはずのものであると信じております。」とある。 そして、「荒唐無稽な伝説に包まれて、眩惑されている憫れなる民衆」 に対し、「神聖不可侵の権威として彼らに印象されているところの天 皇、皇太子なる者が実は空虚なる一塊の肉の塊であり、木偶にすぎな いこと」、神国と見做されている日本は「少数特権階級者の私利を貪 るために仮設した内容の空虚な機関にすぎないこと」、「かの忠君愛 国なる思想は、実は彼らが私利を貪るための方便として美しい形容詞 をもって包んだところの己の利益のために他人の生命を犠牲にする一 つの残忍なる欲望に過ぎないこと」等について述べている。

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